ミーソン聖域
ミーソン聖域(ミーソンせいいき、越:Thánh địa Mỹ Sơn/聖地美山)はベトナム中部クアンナム省にある古代チャンパ王国の聖なる遺跡。1999年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
ミーソン聖域はサンスクリットによる正式名称をシュリーシャーナバドレーシュヴァラといい、チャンパ王国の宗教(ヒンドゥー教シヴァ派)の聖域であり、聖山マハーパルヴァタを望むクアンナム省ズイスエン県ミーソン圏谷にある。ミーソンにはレンガ作りのチャンパ塔など7世紀から13世紀にかけての遺構が残っているが、ベトナム戦争当時の爆撃によってかなり破壊されている。遺跡の近くを大河トゥーボン川が流れており、川の女神を祀る秋盆夫人祠とサンスクリット碑文がある。
トゥーボン川の中流には王都チャキエウ遺跡があり、河口には近世に日本人町が栄えた港町ホイアンがある。
チャンパ王国はサンスクリットによる正式名称をチャンパープラ / チャンパーナガラといい、シュリークシェートラ(ビルマ)、ドヴァーラヴァティー(タイ)、カーンボージャ(カンボジア)、シュリーヴィジャヤ(インドネシア)などと同じ東南アジアにおける中世インド化国家である。チャンパ王国は今日のベトナム中部沿海及び中部高原を支配した。その支配民族は不明であるが、遺跡からはサンスクリット碑文と共にマレー系(オーストロネシア語族西インドネシア語派)に属する古チャム語碑文が出土しており、チャンパ人(古チャム人)は現在のチャム族の祖先であると考えられる。ミーソンの現在の住民はモン・クメール系のベト族(キン族)であるが、本来はモン・クメール系のカトゥ族の勢力範囲であったことから、カトゥ族の祖先(古カトゥ人)もまた古チャム人と共にチャンパ王国の構成員であったと考えられる。
建造物はグプタ様式や先アンコール期の影響が見られる。建造物にはセメントや漆喰などの接着剤を使った形跡が無く、チャンパ人の当時の技術力の高さを物語っている。チャム族の伝承によれば、チャンパの彫刻工人、建塔工人の多くは徴用労働者として動員された山岳民族である。周囲に住む山岳民族カトゥ族は現在でも有名な木彫職人を輩出している。
ミーソン聖域は20世紀初頭にフランス人によって発見され、フランス極東学院 (EFEO) のパルマンチェ、クレイらにより数次にわたり修復、補強がなされた。その一方、フランス統治時代に盗掘を受け、美術品の多くが失われた。また、ベトナム戦争でアメリカ軍の空爆を受け、大半の遺跡が破壊された。ベトナム戦争後はポーランド文化財保護アトリエ (PKZ) のカジミエシュ・クヴィアトコフスキ、ベトナム文化情報省文化財修復公司のホアン・ダオ・キンらにより補強がなされた。日本のトヨタ財団、アメリカのワールドモニュメントウォッチ財団による保護助成が行われ、現在はイタリア隊が調査を行っている。また、2005年3月には日本の国際協力機構の技術協力によりミーソン遺跡展示館が完成した。
ミーソン聖域は20世紀初頭にフランス人によって発見され、フランス極東学院 (EFEO) のパルマンチェ、クレイらにより数次にわたり修復、補強がなされた。その一方、フランス統治時代に盗掘を受け、美術品の多くが失われた。また、ベトナム戦争でアメリカ軍の空爆を受け、大半の遺跡が破壊された。ベトナム戦争後はポーランド文化財保護アトリエ (PKZ) のカジミエシュ・クヴィアトコフスキ、ベトナム文化情報省文化財修復公司のホアン・ダオ・キンらにより補強がなされた。日本のトヨタ財団、アメリカのワールドモニュメントウォッチ財団による保護助成が行われ、現在はイタリア隊が調査を行っている。また、2005年3月には日本の国際協力機構の技術協力によりミーソン遺跡展示館が完成した。