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日本文化展示の家の情報

金曜日 - 21/07/2023 12:07

日本文化展示の家は、日本橋の遺跡から約 30 メートル、グエン ティ ミン カイ通り 06 番地にあります。多くの信頼できる情報源によると、この地域はもともと、16 世紀後半から 17 世紀初頭にかけて、ベトナムのホイアンと日本との間の文化交流と騒がしい貿易活動を行っていた日本人街でした。

この家が築数百年(ちくすうひゃくねん)前から、当時ホイアンの貿易港で一般的だった管状の形で建てられました。木製の高い屋根裏部屋や広い廊下などのユニークな構造があるこの家のフレームは何世紀にもわたるホイアンで東アジアの建築の発展と交流を示しています。日本文化展示の家は(06 グエン ティ ミン カイ)では、古代貿易港のホイアンで住んでいた人民と商人たちのライフスタイルに関する貴重な情報を提供しています。
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2年間以上の準備期間を経(へ)て、2022年8月26日、第18回ホイアン・日本文化交流イベントの際、日本文化展示の家が開設されました。ここは、400 年以上前のベトナム、クアンナム、特にホイアンと日本の各地域との密接な関係に関する画像や工芸品を展示する場所です。そして、長崎県、大阪府の堺市、三重県の松阪市などホイアンやクアンナムとの過去(かこ)から現在まで交流が深い地域の歴史、文化、観光、工芸品などを紹介する場所です。また、ここは日本の茶道を演じて楽しむ活動、折り紙、照る照る坊主、日本の仮面の描画、日本の漫画の本棚など、日本文化を体験するためのさまざまな豊富(ほうふ)な活動を定期的に行う場所でもあります。。日本文化展示の家はホイアンの人民と観光客者が日本の文化と両国の過去からの交流をより良く了解することに貢献し、現在のベトナムと日本の戦略的パートナーシップに向かいます。
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正面玄関の中央には、元日越特別親善大使の杉良太郎氏から寄贈された御神輿(おみこし)が置かれています。杉良太郎氏は1944年に神戸で生まれた、音楽、映画、絵画(かいが)、社会活動の分野で日本のビッグネームです。 1989年に初めてベトナムに来て、初めて会った時からこの国への愛情で、ボランティア活動、文化の促進、ベトナムと日本との友好関係を繋がることなど様々分野で30年間以上ベトナムで活動されました。彼は現在、ベルラ子供村(ハノイ)で 152 人のベトナム人の子供たちの養父です。
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家の1階には、ホイアンと日本の地域を結ぶ朱印船の貿易時代に関する歴史文書が展示されます。
17世紀始め、当時の日本の支配者であった徳川家康は交易の場を東南アジアにに見いだしました。そこで彼は、外国へ向かう貿易船に朱印状と言う渡航許可証を与え、東南アジアとの貿易政策を推し進めました。これを朱印船貿易といいます。
朱印船貿易は1600年から日本が外国との貿易を禁じた1635年まで行われました。この期間に、東南アジアに渡った朱印船は350集以上ぐらいであったと記録されています。そのうちホイアン渡った朱印船は71集ぐらいにものぼりき、ホイアンは朱印船貿易においてきわめて重要な拠点であったことがわかります。
日本文化展示の家の中に朱印船時代描いたものとして「茶屋交貿易渡絵図(えず)」が残されています。
この絵図は当時の長崎とホイアンの貿易港及び当時ホイアンである中国人街、日本人街を紹介し、昔からホイアンと長崎の友好関係の証拠になっています。
長さ4.98メートルのこの絵の原本は現在、名古屋県の浄妙寺に保管されている。
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家の 2 階には、過去と現在のホイアンと多くのつながりを持つ地域に関する画像や工芸品が展示されています。
長崎県の展示ブースには400年以上の伝統的な秋の「おくんち祭り」の情報と写真が展示されています。この祭りに 7年ごと、グエン・フック・グエン卿の養女のゴック・ホア王女と日本の商人荒木宗太郎との結婚式を再現する演奏が行われる。両国の外交関係に多大な貢献を果たしたゴック・ホア王女は、長崎の人々から親しみ込めて「アニオさん」と呼ばれていました。長崎は長い歴史を通じて、日本と世界中の多くの文明国の文化の干渉を受け入れる場所です。長崎県民はいつでもフレンドリーで、もてなしの心と寛大な精神で訪問者を歓迎しています。長崎の名物は焼酎、日本酒、カステラ、ちゃんぽん…です。
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三重県の松阪市のブース:松阪市は多くの有名な商売をする家族があり、日本の長い貿易の伝統を持つ都市です。松阪市も、過去からホイアンとの類似点とつながりが数多くある都市でもす。 400 年以上前に遡(さかのぼ)る「商人街」などの有名な観光スポットは、松阪の全盛期(ぜんせいき)の繁栄を理解するのに役立ちます。松阪市の特産品は松阪牛肉、特に全国に人気がある織物・呉服産業ですが、その中でも最も有名で人気があるのがベトナムのコーチンシナからの縦縞織の技術がある松阪もめんです。松阪もめんの特徴(とくちょう)は、さまざまな色の藍(あい)を染(そ)め、伝統的な青い縞模様(しまもよう)の綿織物(めんおりもの)を織る技術で、ベトナムと日本の文化交流の豊かな歴史の証(あかし)となっています。
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大阪府堺市の展示ブース:堺市は中世に日本の重要な港であり、過去にホイアンの貿易港と多くの貿易関係を持った、20世紀の2000年代からホイアンと早く友好関係を持っている地域の一つです。堺市は、ホイアンに住んでいた日本人街の初代市長の愚息君氏の故郷です。現在、ホイアンのタンアン区にある彼の墓は、ホイアンと彼の日本に住んでいる子孫によって、両地域間の友好の象徴として定期的に手入れされ、崇拝されています.堺市には世界文化遺産の百舌鳥・古市古墳群や木造灯台など有名な場所があります・日本の古くからの工業生産地の堺市は日本の人気がある手打ち鍛造包丁や金属製の家庭用品を製造している場所の一つです。ここにも優(すぐ)れた工芸品、特にお香、注染布、精密自転車で有名です。
 
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連絡先
ホイアン旧市街の案内オフィス
電話: +84.843428888
住所: ホイアン市、ミンアン、ホアン・ヂエウ通り08番地
 

 

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